帰り道のアリス 
  
  
光と闇の境目色の橙色に焼けた空は段々と闇にその場を譲りつつあった。 
うっすらと月の白い片鱗が顔を出し、目を凝らせば星も見えそうだ。 
  
月と同じ色をした優雅な毛長の猫が屏の上で身を翻した。その向こうからは美味しそうな 
夕御飯の匂いが流れてくる。 
  
少女は家路を急いでいた。 
遊びに出掛けた帰りだから若干疲れていても足取りは軽い。ほんの僅か背伸びした服も褒 
めて貰った。 
少女の心の内はとても幸せに満ちていた。 
  
  
不思議な音が響くまでは 
  
  
別段おかしな音ではない。音自体は鈴の音だ。チリンチリンと涼し気な旋律を奏でてい 
る。 
  
やけに耳につく 
大きい訳でもないのに 
  
  
後ろを振り向くと闇の中にさっきの白猫が佇んでいた。 
長い尾をたおやかに揺らし、こっちを見ていた。 
よく見れば片目は蒼、もう片方は碧の美人猫で、艶やかな毛並みは月光を弾き返し神秘的 
だ。 
  
『ミァオ』 
  
  
一声鳴くと猫は暗闇の中へ身を翻した。 
白い影は思ったよりも幾分早く闇の中へ消えた。 
  
少女はその後を追った。 
  
  
不思議の国のアリスを気取ってみるのも楽しいかも知れないと思ったし、ぬいぐるみより 
ずっと綺麗なあの猫と友達になって触りたかったからだ。 
  
  
闇が辺りよりも深いことに気付かずに少女は猫の後を追って暗闇の中へ消えていった。 
−−−−−−−−−−− 
  
少女は真っ暗な中を歩いていた。 
  
街灯は一本も立っておらず月もいつの間にか隠れてしまった。 
鈴の音を頼りに歩いていたのだがそれも止んでしまった。 
  
  
「お困りかな?」 
  
  
真後ろから声を掛けられた。驚いて背筋に悪寒が走り、鳥肌が立ってしまった。 
恐る恐る振り向くと小さい人が立っていた。 
  
自分の胸くらいの高さしかない背と目の高さまでくる風変わりな色のシルクハット。 
同じ色の編み上げのベストに燕尾服 
  
御伽話か、それこそアリスに出てきそうな恰好で、思惑と違うのは少年がそれを着ていた 
ことだろうか。 
  
  
「どちら様でしょう?」 
  
問われても答える術を少女は持たなかった。 
此処が何処かも解らない。第一、猫の後を追って2、3角を曲がっただけで、まだ此処は 
御町内の筈だ。明かりが無くなる訳もないしこんな風変わりな少年変出者が出るなんてあ 
りえない。 
少年の体格をしているにも関わらず自分より背が低いのも不思議さを増す。 
  
頭が混乱してきた。 
  
  
「…さて、この硝子の森にどうやって入られたのでしょう?お客様か侵入者かはっきりさ 
せないといけないのですが」 
  
  
硝子の森と少年が言うと闇だった辺り一面が半透明な硝子や玻璃で出来た木々で埋め尽く 
された。月光と星の瞬きを反射させ、木や葉自身が輝いている様に見えた。 
  
  
白い猫を追ってきた事を告げると少年は頭をやれやれというように振った。 
  
  
「あの御方にも困ったものだ。また気まぐれで人を連れて来て」 
  
  
ほとほと呆れたような物言いに少女はくすりと笑った。それを認めた少年は穏やかな笑み 
を浮かべて言った。 
  
  
「硝子の森へようこそ」 
  
  
声を合図に木々が歌い光り始めた。蛍の様にぼんやりとゆっくり光る木もあれば星の瞬き 
のように強く速い木もあった。 
音ならぬ音の旋律が聞こえた。木々の囀りなのか大地が響くのか 
  
  
不思議な景色に少女が声を出せずに見惚れていると小さな英国紳士が少女の手を取り一歩 
だけエスコートした。 
  
  
「この道を真っ直ぐ御進み下さい。私は先にお茶の準備をして参ります。」 
  
  
また突然道が現れた。硝子の木や葉を砕いて敷き詰めたような光る道に少女は驚きの色を 
隠せなかった。 
歩く度に儚い硝子が割れ響く音がした。 
  
道が終わると目の前に大きな木が聳え立っていた。 
その下には英国式のティーパーティーが用意されていた。 
  
その下には英国式のティーパーティーが用意され、テーブルには色とりどりの茶器と沢山 
の菓子が並べられていた。 
  
主催者の席に座っていたのは綺麗としか表現出来ない女性だった。テーブルに並べられた 
白滋のティーカップに負けず真っ白な肌と白銀の月光を紡いだような真っ直ぐな長い髪。 
同色の睫毛が彩るのは波打ち際の薄い蒼と浅い淵の透けた碧の瞳。みずみずしい薔薇色の 
唇がゆっくりと両端を上げ笑みの形を作る。 
  
「いらっしゃい、可愛いお嬢さん」 
  
綺麗な声だった。 
少女とも大人とも年端のいった女性とも取れない声だった。声だけではない、容姿からも 
年齢が解らない。ただ、物語に出てくる貴婦人みたいだと考えの回らぬ頭で思った。 
  
いつの間にか少年紳士が後ろに立っていて椅子を引いて座るよう促してくれた。抗うこと 
なく少女はその席へ座る。 
注がれたお茶は香り高く、上り立つ湯気すら品が良い。勧められるまま食べたクッキーも 
手づくりなのだろうが、そこらの店で買うものより美味しかった。 
  
暫くそうしてお茶を楽しんでいたのだが、貴婦人が話を切り出した。 
  
「かくれんぼしましょう?」 
  
  
白魚のような指を立て、少女のように可愛らしく首を傾げた貴婦人にどうしても、と言わ 
れて断る術はなかった。 
  
「もちろん無償とは言わないわ。私を見つけられたらお家へ帰してあげる」 
  
少女がはい、と一言承諾の意を告げるとティーパーティーの用意は全て消え去り、見事な 
英国式庭園が現れた。甘い薔薇の香りと柔らかな緑の香りがした。 
  
少女は庭園を闇雲に歩いた。常緑樹は乱れもなく刈り揃えられ深い緑の姿を凛々しく並べ 
立て、花は咲き乱れ艶やかさを競っていた。 
迷路のような生垣の道を少女は歩き続けるうち、優雅な軌跡を描いて落ちる噴水を見つけ 
た。水面は煌めき、流れが緩やかな場所には睡蓮が雫を湛え揺らいでいた。 
噴水の縁に腰掛け、覗くと優雅な尾を持つ魚が目の前を横切った。 
  
  
「…そんなにその魚、美味しそうに見える?」 
  
水面に映る自分の姿の後ろに男の人の姿が現れた。 
驚いて振り向くと、少し長めの髪を躍らせた容姿端麗な青年がにっこりと笑いかけてき 
た。 
カジュアルにデザインされたスーツを更に着崩して、華奢なサングラスをずらし上目使い 
にこちらを覗く。友達がはしゃいでいるアイドルよりもずっと格好良いと思いながら、不 
躾にも魅入ってしまう。 
  
  
「君はお客さんかな?」 
  
にっこりと笑う青年に見惚れていたため、声が出せず首を縦に振ると、男性が惜し気もな 
く睡蓮を手折ると少女の髪に飾った。もったいないから断ろうとすると 
  
「客人はもてなすのが礼儀だけれど、魚はあげられないからね」 
  
くすくすと笑い、噴水から流れる複数の水路のうち1つを指し示した。青年が動くごとに 
着けているアクセサリーや鎖がしゃらしゃらと音を立てる。 
  
「この水路を辿っていくといいよ。婦人の場所を知ってる奴に会えるかもしれないから」 
  
  
指指されたまま水路の先を眺め、振り返り御礼を言おうとしたら青年の姿は消えていた。 
少女は気を取り直して水路を辿り始めた。涼し気な音を立て流れる水路は時折綺麗な尾を 
持つ魚が横切っていった。 
  
どのくらい歩いただろうか。やがて少女は背の高い2本の薄紅の木が寄り添うように生え 
た場所に出た。 
よく見れば同じ種類ではなさそうだが、そっくりだなぁと思った。 
  
「僕達みたいに?」 
  
突然視界に入って来たのは全く同じ顔をした2人だった。木の幹のような柔らかい茶色の 
髪と瞳に、花と同じ色の薄紅のシャツを着ていた。 
  
「びっくりした?」 
「びっくりしてるわ」 
  
双子が鈴が転がるようにくすくす笑うとようやく少しだけ二人の差が見えた。 
片方は優雅に口に手を持っていき笑ったが、もう片方は肩を竦めただけでそのまま笑って 
いた。 
少女の視線に気付いた二人は笑うのを止め、優雅に礼をとった。 
  
「あの桜は僕。僕がお兄さんなんだ」 
「あの林檎は私。私がお姉さんよ」 
  
男の子は短めのズボンで女の子は長めの丈のワンピースのようなシャツだった。女の子は 
髪を結い上げており、見た目は男の子のショートカットと変わらない。 
  
「僕が年上さ」 
「私が年上よ」 
  
言い争いを始めた双子は少女が叫ばなければ取っ組み合いの喧嘩を始めただろう。 
互いから少女に注意を向けた双子は先程の喧嘩などなかったように明るい声を揃えて聞い 
た。 
  
「「その華、猫のお兄さんに貰ったの?」」 
  
  
少女が誰のことだか解らず首を傾げると双子は次々質問を投げ掛けた。 
  
「茶色の髪のお兄さんだよ」 
「サングラスをいつもしてるわ」 
「カッコつけた奴さ」 
「格好良いけどね」 
「ちゃらちゃらしてる」 
「アクセサリーもちゃらちゃらしてる」 
「真面目なんだよ」 
「ふざけてるけど」 
  
  
次々と青年を的確に表す言葉を並び立てられ、少女がそうだと答えると全く同じタイミン 
グで全く同じ動作で礼をとった 
  
「「ようこそ、庭園“ガーデン”へ」」 
  
その言葉を合図に蕾という蕾が一斉に花開き、先に咲いていた花は豪奢に花弁を散らし始 
めた。 
  
「夜の貴婦人と鬼ごっこ?」 
「それとも女王陛下とかくれんぼ?」 
「「手伝うよ」」 
「猫のお兄さんがもてなしたんだもの」 
「私達もおもてなししなきゃ」 
  
  
花の香りのする風と戯れるようにくるくると少女の手を取り回りながらダンスのステップ 
を踏む。 
ワルツを少年とポルカを少女と、くるくると代わる代わる踊る。 
  
「かくれんぼなら女王は泉に隠れる」 
「鬼ごっこなら貴婦人は泉で待ち伏せ」 
  
順番が代わる度、双子は一つづつヒントを少女に与えた。 
  
「女王は木の上」 
「婦人は枝の上」 
「間違えないでね、一番大きな泉だよ?」 
「間違えないで、一番綺麗な泉よ?」 
  
ステップを踏むテンポが段々と速くなっていく。順番を代わる間隔も段々と短くなってい 
く。 
音楽のないダンスが終演を迎える。 
  
「「気をつけて、硝子の木は全ての枝が透明な訳じゃない」」 
  
  
双子とのダンスが終わると一瞬目の前が真っ暗になると辺りが輝いた。あまりの眩しさに 
目が見えない。 
  
瞬きを繰り返し、ようやく明るさに馴れた目が見た景色は最初に見た硝子の森だった。 
  
少女は髪を結い上げて、花を髪に留め直すとまた歩き始めた。大きな泉か綺麗な泉を探す 
為に。 
不思議と疲れはなかった。迷うかも知れないけれど真っ直ぐ森の奥へ奥へと歩いた。小さ 
な泉で手を浸すと冷たくて気持ち良かった。飲めるかもしれなかったが紅茶を飲んでから 
不思議と喉は渇いていない。 
  
奥へ奥へ 
  
突き当たったのはお茶会をした所に生えていた大きな木とそっくりな硝子の木だった。 
木は根本をかなりの高さまで泉に浸していた。水底まで透き通って見えた。水面には光る 
木々と月が映り込んでいた。 
  
少女は硝子の木を見つめた。此処じゃないかも知れないけれど、頭の何処かが此処だと命 
令する。月光を体内に取り込んで散らす木は優雅で綺麗だった。一際銀の光が強い枝が少 
女の目を引いた。その枝を瞬きもなく見つめる。 
  
何処かで鈴の音が響いた 
  
  
鈴の音に合わせて木が揺れ動いた。葉と葉が触れる度に凛とした音が生まれ落ちていく。 
  
鈴の音と葉の音が共鳴し、銀の枝が一際大きく揺れると、段々と人の姿を取り優雅な女性 
になった。 
見つけなければいけない貴婦人だった 
  
  
「見つかっちゃった」 
  
  
華やかな笑みを浮かべて、足取りも軽やかに少女に近付いてくる。 
水面に波紋を作りながらその上を歩いてくる。水紋は波になり少女の足元で音を立てた。 
  
「私の負けね。帰してあげる」 
  
にっこりと目の前で微笑まれ、少女は真っ赤になった。髪にさしてある蓮の花を手に取 
り、口付ける。貴婦人の綺麗な絹糸のような長い髪が頬を掠めてくすぐったい。少女は思 
わず目をつむった。 
  
−−−−−−−−−−− 
  
目を開けたらそこは元の町だった。 
僅かに暗くて一番星が燦然と輝いていることを除けば、元の帰り道だった。 
  
道に面した家からは美味しそうな夕飯の匂いと、TVを見て笑っている声がする。塀の上 
を歩いているのはよく見掛ける野良猫で、道向かいの家の犬が吠えている。 
  
全て夢だったのだろうか 
  
  
鞄は持っているし、髪だって降ろしたままだ。花は髪についていないし、足も疲れていな 
い。 
  
夢?だとしたら立ったまま自分は寝ていたのだろうか。手を濡らす水の冷たさや紅茶の香 
は何だったのだろうか。いつもだったら盛大に音を立てて機嫌を損ねるお腹の虫が大人し 
くしているのは何故だろうか 
  
少女はもう一度、最初に猫が消えた路地を見つめた。しかし、街灯が付き、闇は無くなっ 
ていた。単なる夢だったのだ、きっと。怖かったが、とても楽しかった。ふわふわした気 
分がまだ残っている。少女はちょっとだけ幸せだった。 
  
チリン、と鈴の音が響いた。 
  
視界に真っ白な猫が踊り出た。だが、銀の不思議な月の色ではなく普通の毛の長い白い猫 
だった。 
  
『ミァオ』 
  
こちらを向いて鳴く猫を少年が抱き上げた。歳はさして変わらないだろう。背は自分より 
少し高い、優し気な雰囲気の少年だった。 
  
少年の顔を見て少女は愕然とした。夢の中でみた英国紳士だったからだ。顔だけでなく猫 
を抱き上げる仕種が全く同じだった。 
  
少年はこちらを向いてにっこりと笑うと猫を抱えて家の中へ入っていった。 
  
少女は夢への境目に今だ立っているらしかった。 
  
おわり 
  
  
  
05/07/06 作:柚月 巧 様 
  
  
  
  
  
  
  
 ◇◇◇ 
  
にわたのオフ友・・っていうかオフ先輩に頂いた品vv 
ファンタジーをリクしてこんなっ/// 
えっと、短文にわたが書いて、ソレを小説にしてもらうという形式でねだりました。 
例の短文は・・・下にでも。 
また何かねだる予定(まてや) 
にわたもファンタジー書きたい今日この頃。 
ファンタジーは大好きです(日本語おかしい) 
  
巧様、有難うございました!! 
  
05/07/06 にわたずみ 
  
  
  
  
  
  
  
   ↓例の短文↓ 
  
  黄昏の帰り道
  この時間 
  君が歩くは帰り道 
  振り替えればほらそこに 
  君の知らないタソガレが広がる